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『世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』 金子 敦郎 (著)―読書記録

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    暴かれたアメリカの「正当化」度数:★★★★☆

    1999年、アメリカ ワシントン市郊外にあるメディア博物館がジャーナリストや学者を対象に「二〇世紀最大のニュース」を調査した。アポロ11号の月面着陸、日本軍の真珠湾攻撃、ライト兄弟の初の飛行成功、アメリカ女性に参政権付与、ケネディ大統領暗殺、ナチスによるユダヤ虐殺、第一次世界大戦、アメリカ学校での黒人差別撤廃、1929年のアメリカ株式暴落が並んだ。そんななか第一位になった20世紀最大の出来事が広島・長崎への原爆投下になったという。


    世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた

    世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた

    発売日:2007年07月15日
    通常価格:¥ 1,890 (税込)
    著者:金子 敦郎
    ページ数:349ページ
    出版社:明石書店

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    【原爆投下はしょうがない・・・のか?】
     本書『世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』は、G・アルペロビッツやM・シャーウィンら修正主義学派と呼ばれる歴史学者やジャーナリストの努力に敬意を表しつつ、アメリカ政府首脳部の会議、打ち合わせ、政策メモなどの公式記録のほか、関係者の個人メモ、日記、書簡、回顧録など膨大な資料を繋ぎ合わせて、秘匿されたり、廃棄されたり、あるいは改ざんされたりした部分を突き止め、再構築していく。原爆開発から投下決定、これがその後の国際情勢に及ぼした影響までの原爆問題を総まくり的にまとめたものである。

     権力の周りには確執、功名心、打算、怨念などが渦巻いている。原爆投下の背景にはルーズベルト、トルーマン、バーンズという三人の権力者の間の絡み合った人間関係があり、三人にまつわる「因縁」が原爆投下の決定を大きく支配した。

     要点は、第一に「百万人の犠牲を回避し、戦争を早期に終結させた」という考えは、原爆投下批判を沈静化するための政治的な「世論工作」・「情報隠し」(カバーラップ)として誕生した根拠不明の考えで、軍事的には原爆投下は必要がなかった。
    第二に原爆投下の前には、天皇制存続の保証、ソ連による対日参戦、原爆投下の事前警告を組み合わせた外交努力で降伏を促す、との有力な政策進言があった。
    第三に原爆は戦後世界の主導権をかけたソ連に対して威嚇を目的としての外交カードとして利用した。
    第四に原爆投下は、冷戦促進の「触媒」になり戦後世界史の核拡散につながる重要なテーマとなっている。

    以下、章ごとに要点をまとめる。
    第一章:原爆開発競争と科学者
     第二次世界大戦への不安が欧州に重苦しくのしかかっていた1938年12月、ヒトラー独裁下のベルリンにあるカイザー・ウィルヘルム科学研究所で、オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンの二人が、ウランに中性子をぶつけると分裂して新しい元素に転換することを発見した。のちに「核分裂」と名づけられたウランの分裂から生み出される巨大エネルギーを使えば、恐るべき爆弾=原子爆弾を作れると考えられた。

     ナチス・ドイツの原爆開発は、核分裂発見の舞台となったカイザー・ウィルヘルム科学研究所の物理学部門を政府管轄下に置くなど、1939年秋までには本格的に原爆開発に乗り出した。これはユダヤ人亡命科学者たちの直訴にもかかわらず原爆開発に慎重な姿勢をくずさないアメリカはもとより、1940年に核分裂を利用して強力な爆弾を作ることは可能と結論づけたイギリスよりも先行するものだった。

     しかし、ドイツの原爆開発はこのあと失速する一方、アメリカの原爆開発は、ナチス・ドイツが原爆という恐怖の兵器を手にしたら大変という亡命学者たちの戦慄から始まり、先行するドイツにいかに早く追いつき追い越すことになる。
     このほかイギリス、ロシアなどの各国の動きとナチス・ドイツの欧州侵略をまじえて原爆開発競争の推移を追う。

    第二章:目標はドイツから日本へ
     太平洋戦争戦線の行方を見ながら原爆投下の目標を早い段階からドイツから日本へと転換し、日本に原爆を投下する既定方針を見ていく。ルーズベルトはなぜ、原爆投下の目標を早い段階かでドイツから日本へと転換させたのかを説明する資料がないので、「人種差別」論にふれつつも著者、金子敦郎は「結局のところ、日本への原爆投下が人種差別によるとか、あるいはその背景に人種差別意識があったと判断する材料はない。しかし、黒人差別が当たり前だった時代である。アメリカ指導者の意識の底流にそれがなかったとも言い切れないだろう。そこには報復・懲罰の意識が絡んでいたことも間違いないように思える。」とお茶をにごしている。

    第三章:トルーマンと原爆
     原爆に対する重要な決断(完成した原爆をどのように使うかなど)をくださないまま、ルーズベルトが死に、突然大統領になったトルーマン。第三章「トルーマンと原爆」では、大統領就任の驚きを「太陽も月も、すべての星が降ってきたような思いだ」と語ったトルーマン大統領の就任から、原爆を使って対ソ連外交のうえで強力なカードになると考える「原爆外交」の重要人物たちの行方を追う。原爆という恐怖の新兵器を対ソ連外交のカードに使うトルーマンやバーンズ、スティムソンらのこうした外交をG・アルペロビッツは「原爆外交」と名付けた。

    ※まだまだ続きますが記事が長くなるのでこの続きは記事最後尾の「続きを読む >>」をクリックしてください。

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    ■著者はこんな人(プロフィール)■
    金子敦郎(かねこあつお)
    1935年生まれ。1958年東京大学文学部西洋史学科卒。共同通信社入社。社会部、サイゴン支局長、ワシントン支局長、国際局長、常務理事。1997年大阪国際大学教授、国際関係研究所長、学長の後2006年名誉教授。専門は国際関係論、米国内政・外交、マスコミ論。現カンボジア教育支援基金代表理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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    JUGEMテーマ:ノンフィクション
    第四章:広島へ、長崎へ
     トルーマンとバーンズの「原爆外交」が進められるのと並行して、原爆の対日投下の準備も加速していた。原爆投下目標選定委員会は最初の原爆は見せ場効果を狙い、目標を京都、広島、新潟の三都市に絞り込んだ。これを受けて軍当局にこの三都市への爆撃を停止するよう要請した。原爆の「効果」が分かり易いようにするためである。また、原爆の「威力」を確認するためには空からの目視と写真撮影が不可欠で原爆投下には晴天が条件になった。

     バーンズの主導によって「日本に対する無警告・早期使用」「原爆は日本に対して可能な限り早期に、多数の労働者の住宅に囲まれた軍需工場に対して使用されるべき」の方針決定に持ち込んでいった。

    第五章:原爆外交―ポツダム会談
     アメリカ側では外交・軍事担当のトップが、天皇制保証にソ連参戦と原爆投下の事前警告を重ねれば日本は降伏するに違いない、それを試みるべきだと考えていた。というのも1945年、日本の最高戦争指導会議は6月23日、敗北は不可避と判断し、ソ連に和平の仲介を依頼する方針を決定した。東郷茂徳外相が7月12日、佐藤尚武駐ソ大使宛に打った電報によると、日本は内外の状況に直面し、天皇陛下が戦争を早急に終わらせたいと判断されたが、米英が無条件降伏に固執する限りは戦い続けるほかはないとして「ソ連に戦争終結に協力を依頼するため近衛文麿に天皇親書を持たせて特派するから、早急にモロトフ外相に会ってソ連に特使受け入れを要請せよ」という内容だった。アメリカ軍は日米開戦の前に、日本の暗号電報の解読に成功していたため、この電報を傍受した。ワシントンに残っていたグルーは、オーガスタのトルーマンに「早期降伏へのドアが開いたのではないかと推測する」という内容の緊急電報を送った。フォレスタル海軍長官は「日本が真剣に戦争を終わらせたいと願っている最初の証拠である。天皇は戦争終結を強く願っている」と受け止めた。ただし、バーンズは無条件降伏を貫くというのが三国(アメリカ、イギリス、ソ連)首脳会談の基本方針であり、これを変更する理由はないとして、トルーマンに「大統領と国務長官で決める」ことを提案して、トルーマンも受け入れた。

     トルーマンはポツダムの首脳会談の日程を原爆実験の日程に合わせて、無理やり引き延ばした。原爆実験が成功したと分かると、ソ連の対日戦争参加は一転して不要となりポツダム宣言にソ連を加えず、原爆についてもポツダムでトルーマンがスターリンに非公式にそれとはよく分からないようにささやいただけで、通告なしに使用した。

     無条件降伏にこだわったバーンズも、実質的には日本の「天皇制は存続する」との「理解=条件」を受け入れた。無条件降伏の原則に固執しないで政治・外交的に降伏を促進するとの主張を退けてきたトルーマンとバーンズ、とりわけバーンズは結局、グルーやスティムソンらの主張に沿って戦争終結を図ったのである。バーンズが主導したと見られる「原爆外交」とは1)原爆を対ソ連外交の強力なカードに使う ⇒2)そのためには実際に原爆を使用して、その威力を誇示する必要がある ⇒3)原爆開発に成功した以上、対日戦争勝利のためにはソ連の参戦は必要なくなった ⇒4)ソ連は参戦によって極東に大きな勢力圏を築くことになるので、ソ連参戦前に日本を降伏させたい ⇒5)そのためには原爆を使って日本を一気に降伏させる(アメリカ軍に大きな犠牲が出る恐れのある日本本土上陸作戦はしないですむ)―というものだった。だがソ連の繰上げ参戦によって(ソ連は8月15日には対日戦争に加わることが決まっている)その狙いを果たすことはできなかった。トルーマンとバーンズはいまはソ連の進撃になるべく早くストップをかけるために、日本のポツダム宣言条件付受諾を受け入れたものと思われる。

    第六章:ルーズベルト、バーンズ、トルーマン
     ルーズベルトの死から四ヶ月、ドイツの無条件降伏、東欧をめぐる米英対ソ連の対立、太平洋戦争終局の激戦、原爆開発の最終段階、ポツダム会談とポツダム宣言、原爆投下、日本降伏・・・・のアメリカ外交を振り返ると「主役」としてバーンズの存在が大きく浮かび上がってくる。そこで、トルーマン大統領の重要な外交政策を決定できる権力を握ることができたバーンズの生い立ち、政治手腕、特にルーズベルトとは互いに一物を持ちながら相手を利用し合う関係から、政治の表も裏も知り尽くし政治的駆け引きに巧みな政治家の様子がうかがえる。

    第七章:カバーラップ
     日本では原爆投下直後の報道は軍当局の検閲などによって情報統制がされた(「広島に新型爆弾」「相当の被害」と発表したのみ)。しかし、政府の宣伝機関となった同盟通信社は国外の対外報道では原爆投下による悲惨な被害を伝えていった。

     トルーマン大統領自身も、広島・長崎のあまりの惨状に衝撃を受けたのか三発目の原爆投下の準備はできていたが原爆投下作戦の中止命令を出した。トルーマンは「さらに10万人を抹殺するという考え方はあまりにも恐ろしい。子供を皆殺しにするようなことは嫌だ」と発言したという。
     
     原爆投下に対する批判は、必ずしもアメリカ世論を代表していたわけではない。しかし、ジャーナリストの現地ルポ・宗教指導者の批判さらには日本は既に崩壊状態に陥っており、軍事的には原爆投下は必要なかったと主張する「原爆不要論」が軍首脳部からも表面化した。そんな中、原爆投下批判の広がりにストップをかけ原爆投下の正当化に動いたのが原爆開発計画に関して科学者としてブッシュとともに、国防調査委員会(NDRC)議長、最高政策グループ・メンバー、暫定委員会メンバーなどを務め、深く関わったコナントたちだった。コナントは共和、民主両党の党派をこえた長老政治家であり、国民的尊敬を受けており、かつ政府の原爆開発計画の責任者だったスティムソンの名声を利用して「合作論文」を発表させた。もちろん論文の目的は原爆の事前警告や示威デモが非現実的だったと強調する「原爆投下の正当化」である。

     論文は日本本土上陸作戦を実行すればアメリカ軍だけで100万人以上の死傷者(casualties―戦死、負傷、行方不明者を一緒にした言い方)が出て、同盟国軍にも大きな犠牲者が出ると教えられたと述べ、日本側にはアメリカ軍をはるかに上回る死傷者が予想されたと指摘した。このくだりが原爆投下によって日本が降伏し日本上陸作戦が回避されたので、予想された犠牲者100万人の生命が救われたとする原爆投下正当化論の元になった。この「100万人」説がどこから出てきたのかは不明である。しかし、論文の末尾に「この論文は特別な重要性があるので、ハーパーズ・マガジン社のクレジットをつければ、いかなる新聞、雑誌も論文の一部あるいは全文を掲載することが許される」との但し書きが付された。これによりこの論文の読者は数百万人に上ったと見られコナントらの「世論工作」・「情報隠し」(カバーラップ)は十分に目的を達した。

    第八章:原爆論争
     スティムソン論文に一般の国民はおおむね納得した。しかし、政治・外交や国際情勢などに関心を持つ学者、ジャーナリストなどの指導層にはさほど説得力はなかった。その後も「原爆批判」収まらなかった。第八章「原爆論争」はアメリカ政府の件名の「情報隠し」(カバーラップ)を透察して、原爆投下の本当の理由と米ソ核軍拡競争の本質を描き出す「原爆外交」論争を見ていく。「情報の自由法」の誕生の追い風、G・アルペロビッツやM・シャーウィンら修正主義学派と呼ばれる歴史学者やジャーナリストの努力によって、トルーマンの日記や夫人への手紙、日本の暗号電報解読記録、高官の日記などが発掘され原爆投下の「真相」が“ほぼ”浮かび上がった。
     
     もちろん、G・アルペロビッツやM・シャーウィンら修正主義学派の「原爆論」に対して、アメリカでは「反米的」「自虐史観」との非難がある。アメリカ国立航空宇宙局博物館が1995年、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の展示とともに原爆の開発から投下、日本降伏、冷戦という歴史の歩みをたどる展示会を計画したが在郷軍人団体や議会保守派は原爆展示を中止に追い込んだ。

    第九章:原爆外交の挫折と冷戦
     原爆外交の「本番」である戦後世界の主導権をかけた対ソ連外交。及びアルペロヴィッツとK・バード曰く「原爆は冷戦の主たる触媒だった。原爆が冷戦を作り出したのではない。原爆がなくても冷戦はあった。しかし、触媒がなければ、その化学反応は起こりにくかったかもしれない。原爆という触媒によって、冷戦は反応を促進され、しかもきわめて危険なまでに軍事化されたのである」という冷戦の分岐点を見ていく。

    第10章:歴史のイフ
     著者、金子敦郎は「原爆投下の決定が行われたとき、トルーマンやバーンズは軍情報当局の情報収集や暗号傍受・解読(MAGIC)によって日本の軍事、政治情勢をほぼ的確に掴んではいたが、何もかも分かっていた分けではない。戦争終結のあとの調査や研究によって、双方とも戦争当時は分からなかった状況を知ることができた。その情報を組み込んだ上で、原爆投下が正しかったかどうかを議論することは歴史の検証として有意義である」と考える。そこで、もしルーズベルトがあと半年でも生きていたらという「イフ」を置いてみる。なぜなら、原爆開発の始まり、広島・長崎への投下、国際管理問題―この二〇世紀最大の出来事の歩みをたどると、ルーズベルト大統領の死が大きな転機となっているからである。楽観的な結論に思える「歴史のイフ」だが、原爆と並行して科学者が強く訴えてきた原爆の国際管理と天皇制存続、ソ連による対日参戦、原爆投下の事前警告を組み合わせたポツダム宣言は提案もなされており可能性は高かった。ならばなぜそのようにならなかったのか。本書『世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』の主題にもなる。著者、金子敦郎は「当時のアメリカ政府のリーダーには「賢い人」が大勢いた。しかし原爆投下はごく少数の「賢くない人」による「賢くない決定」だった。いや「愚かな決定」と言うべきかもしれない」と・・・・。
     

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